あえば直道(共和党全米委員会顧問)が体感した「使命」の大切さとは?

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2016年のアメリカ大統領選挙、多くの日本人がクリントン氏の当選を早々に考え、時の日本政府もクリントン氏にだけ会いにいくという、なかなか攻めたことをしていた中で、早々にトランプ大統領誕生を予見していたのがあえば直道さんです。そのあえば直道さん、昔から英語ができていたわけではなく、英語がしっかりと話せるようになって10年も経っていません。努力を重ねてアメリカに渡り、共和党関係者や保守政治家、保守評論家との対話を行っています。その原動力となるものは何か、あえば直道さんの生い立ちから探っていきます。


1967年1月5日、神奈川県で生まれたあえば直道さん。父親から言われたセリフが今も印象に残っているんだとか。「私には、きっと使命があるんだ」このセリフともう1つ、「おまえにも、必ず使命があるはずだ。それが何かを人生で探しだせ」とあえば直道さんに語りかけます。この当時、父親は弁護士事務所を開業し、プライバシーに関する本を出し意、医療案件の裁判を数多く担当します。企業や団体の顧問弁護士となり、裁判は勝ちっぱなしのようなもの。医師会のドンに好かれ、仕事をどんどんこなしていく父親の姿がありました。これを見て、あえば直道さんは、使命を持ち、それで生きていくことの大切さを学びますが、実際にこれを言われた当時はまだ使命とは何かわかっていませんでした。


小学校、中学校、高校とあえば直道さんはもがき苦しみます。慶応義塾大学の系列校に入ったのまではよかったですが、それだけエリートが大集合するような環境、これだとあえば直道さんでなくても苦しみ、その乗り越え方をなかなかつかめず、屈辱にまみれた時期を過ごします。そんな中、慕っていた祖父がこの世を去ってしまいます。人間として尊重し、暖かく接してくれた祖父がこの世を去る、あえば直道さんからすれば耐え難かった出来事です。初めての肉親の死、これを受けてあえば直道さんは、人生を振り返るようになります。天国から祖父が自分の様子を見たとき、果たして何を思うのか、ちゃらんぽらんになっている自分の姿を見て失望させたくないと思ったあえば直道さん。運命は変えられる、使命に目覚めれば人生は変えられるというメッセージにあえば直道さんはピンと来ます。父親に言われていた言葉はこういう意味だったのか、その答えがここで出されました。


あえば直道さんを大人になってから知る人はとてもエネルギッシュな印象を持つでしょうが、幼少期のあえば直道さんは少なくともそのような人物ではありませんでした。慶應義塾大学の系列校にいた時では苦戦を強いられ、自分がどのように見られているかも気にしていない状況でしたが、祖父の死をきっかけに流れは大きく変わります。