あえば直道の今を作る挫折がちだった幼少期とは?

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現在日本とアメリカで活躍し、一般社団法人JCU議長としてメディアに登場する機会が増えているのがあえば直道さんです。1967年1月5日生まれ、53歳のあえば直道さんは神奈川県横浜市の出身です。

あえば直道さんの父親は、この時まだ司法試験に合格したばかりという状況で、あえば直道さんの母親の父に援助をしてもらい、司法試験に挑み、結果を出したという状況でした。あえば直道さんと性格が似ている父親はとてもエネルギッシュだったようで、反対に母親は落ち着いてのんびりとした方だったようです。あえば直道さんの父親は、当時まだ世間の関心が薄かったプライバシーの権利に着目するなど、精力的に活動し、大手の会社や法人の顧問弁護士を務めるようになり、活躍します。
そんな父親は、あえば直道さんに、自分には使命があること、お前にも使命があるはずだから、人生で探し出せという言葉をもらいます。幼い時に英才教育を受けたあえば直道さんは慶應義塾幼稚舎に合格し、小学生の時から華々しい経歴になったかと思いきや、あえば直道さんにとっては挫折の始まりだったのです。

同じように英才教育を受けた人たちが集まり、いわばエリートが大集合した形の中で、あえば直道さんは劣等感に襲われ、運動も勉強もできない状況に追い込まれます。何をやってもうまくいかず、ストレスで太ってしまい、予習も復習もしない中、テレビばかり見ている、そして成績は落ちていくというスパイラルの中、中学に進学しても状況は同じ。暗中模索する中で、ある活路を見出し、段々と変化していきます。
あえば直道さんを変えたもの、それが弓道でした。運動神経がない人間にとって消去法で残ったものが弓道だったわけですが、高校に入ると状況が変わります。高校の弓道部はインターハイの常連校で、色々な練習をさせられ、しごかれていきます。もう1つ、父方と母方の祖父が相次いでこの世を去ったこともあえば直道さんに大きな衝撃を与えました。この時から、あえば直道さんは天国で祖父たちが見守ってくれており、運命は変えることができる、自分の使命に目覚めれば人生は変えられるという言葉に触れ、自分にだって使命があると思い直すようになります。
高校1年生の冬、あえば直道さんは、勉強に力を入れる事、弓道を頑張る事、痩せる事のいずれかを達成させようと考え、まずは弓道を頑張る事にしました。誰かにやらされる受動的な姿勢ではなく、能動的な練習を行う事、これを心がけたのです。こうしてあえば直道さんは、挫折しがちだった幼少期を乗り越えたのです。